\ 奥深い飲茶文化 /




飲茶とは“点心を食べながら中国茶を飲む”という動作を表すのですが、言うなればイギリスのアフタヌーンティーみたいなものです。食事と食事の間の空腹を癒す軽い食事です。現在でもホテルでは、ランチタイムとディナータイムの間に提供されていますよね。


今現在、飲茶として独自のものがあるのは、中国やシンガポール、マカオ。
シンガポールの飲茶は、英国の影響も受けているので、中国のものよりも少し変化があるようです。

飲茶の定義は、お茶は古くは薬として飲まれていたものですから、(高級な)薬を飲む+点心を食べる=身体に優しい、健康につながる!ということになります。

ちなみに点心とは、心は「身体(身体の芯)」のこと、点は「少しずつ、ちょっと」という意味だそうです。

飲茶文化の始まりは、諸説ありますが隋または唐代から。点心(つまり茶菓子)をつまむようになったのは明代以降などと言われています。
今のようなスタイルになったのは1800年代。香港で見るようなカートワゴンのような形式は、1900年代半ば(そう、つい最近!)。2000年代はカートワゴンのような形式も珍しくなっているようです。


日本では、点心(焼売や春巻など)が副菜として添えられることから日本では大衆的なイメージがありますが、本場中国ではハイソサエティが嗜むエレガントな文化であったそうです。
紅茶やコーヒーも貴族が嗜み大衆に広まったことと同じように、飲茶文化も特権階級から広がり今では朝食(海外では家で食べずに外食文化のところも多い)としていただく大衆文化となったと言えるかもしれません。
その名残として、今現在の飲茶も朝食という側面と社交場という側面も兼ねているそうです。

点心の味付けに関しても、リッチな人が住むところは薄味、労働者が住むところは濃い目の味と変化をしていくそうです。
香港でいうリッチな場所とは、九龍半島の尖沙咀のところ・・・つまり、香港のペニンシュラホテル周辺。

この辺りのリッチなお店は、本当に上品な味付けの点心を出しているそうです。

さて、飲茶文化が花開いた時代と同じように、中国文化が一番花開いた頃と言えば、清時代と言っても過言ではありません。(まぁ・・・歴史的にはどうであれ・・・)
事実、先日手に入れた本にもそのことについて触れられており、食に関してもこの時代に確立されたそうです。乾隆帝の時代が最も豪華であったそうで、現代の中華料理が築かれたのもこの清代であると言われています。

宮廷では食に関して3つの決まりがあり、1つだけ例に挙げると、“味付けは変えることは許されない”というものでした。それは食材にも及びます。
例えば、同治帝が「乾隆帝の時代の~の料理が食べたい」と言えば、味、調味料など詳細に記録されているので、その当時と一緒の食材で同じ味付けが提供することが出来たそうです。


ここで日本の文化に少し目を向けてみますと、日本茶道も発展の仕方は日本独自のものであったとはいえ、やはり中国に由来しています。
日本茶道で出てくる点心も、この点心が由来です。日本料理を出す店で、お昼のコースを「点心」とか「お点心」と記しているところもありますよね。


「食事と食事の間の少しの食事」
茶道での点心はこの意味合いをさすそうです。

日本での点心と中国の点心の意味合いは若干異なるといえ、「ちょっと」という意味では共通しているのではないかと思います。


ちなみに、懐石と会席の違いは、前者は茶に合わせた食事、後者は酒に合う食事、ということだそうです。「酒」が加わることで料理の提供の仕方も変わってきます。

中国文化を知っておくとより深く日本の和食を知ることが出来そう!
個人的に専門書などを読み解きながら、もう少し深く追及していこうと思っています。
いつかは、この優雅な文化をお伝えできるようになれたら良いなと思っております

というわけでこの辺でおひらきです🐥







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